そのシーガーが、27日に94歳で亡くなった。彼を偉大な存在にしたのは、得意なフォークソングを武器として公民権運動、政治批判、平和運動、環境問題など、積極的に関わった行動家としても、歴史の数ページを飾る勇名を馳せたからである。
『もし俺がハンマーを持っていたら(If I Had a Hammer)』1956年、シーガー37歳の時:2分31秒
その生涯のハイライトを、1月28日付け、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたアルバムを年代順に追って展望してみよう。
父チャールス・ルイス・シーガー(Charles Louis Seeger:右)の膝に乗る2歳のピート。義母は作曲家のルース・クロフォード(Ruth Crawford:中央)で、夫妻は、アメリカのフォーク音楽を蒐集し、しばしば、野外演奏会を開いた。
1951年、音楽グループ、ウイーヴァーズ(the Weavers)とニューヨークのカフェ・ソサイエティ・ダウンタウン(Cafe Society Downtown)で公演し、フォーク歌手として名が売れてきた頃。シーガーは左から二人目。
1961年、議会を侮辱した罪が問われ訴えられた。妻のトシ(日系米人)と共に、ニューヨークの連邦裁判所へ出頭。
1963年、ミシシッピー州グリーンウッド(Greenwood)で、学生無暴力協調委員会(Student Nonviolent Coordinating Committee)の運動仲間に参加し、ラリーで唱うシーガー。
1965年、ニュージャージー州ニューウォーク市(Newark)、モスク・シアター(the Mosque Theater)でのシーガー。彼が愛用した楽器は12弦ギターと5弦バンジョーで、時世の歌、子供の歌、冗談まじりの歌、真面目な歌など織り交ぜ、常に聴衆に和唱することをを求めた。
シーガーは仲間と組んで、15万ドルの醵金を集め、クリアウォーター(清い水:the Clearwater)と名付けた帆船を建造し、ニューヨークのハドソン川を昇り降りに航行し、バンジョーをかき鳴らしながら、川の汚染に対する抗議運動をした。
1982年、ペンシルヴェニア州ノース・ヴェルサイユ(North Versailles)でユナイテッド電気労働組合員(United Electrical Workers)たちのラリーを激励するシーガー。
2009年1月、首都ワシントンで行われたオバマ大統領の就任式中、ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)と、『我らは一丸(We are One)』を合唱。
2009年、マジソン・スクエア・ガーデン(Madison Square Garden)で、シーガーの90歳誕生日を祝うコンサートに出演した人気歌手の面々。左からアーロ・ガスリー(Arlo Guthrie)、ジョアン・バエズ(Joan Baez)、ブルース・スプリングスティーン、パティ・シアルファ(Patti Scialfa)、ピート・シーガー、ディヴ・マシューズ(Dave Matthews)、タオ・ロドリゲツ(Tao Rodriguez)。
2010年、ニューヨーク州ビーコンのビーコン帆船クラブ(The Beacon Sloop Club)で演奏するシーガー。
シーガー愛用の5弦バンジョー。使い古された面には、『この楽器は憎しみを取り囲み、降参を強制する(This machine surrounds hate and forces it to surrender)』と円形に書かれた文字が読める。このバンジョーは、2010年、オハイオ州クリーヴランド市(Cleveland)、ロック・アンド・ロック、名声の殿堂と博物館(the Rock and Roll Hall of Fame and Museum)に寄贈された。
2011年10月、シーガー(中央)は、ニューヨークで、ウォール街占領、抗議運動(the Occupy Wall Street movement)に参加し、95丁目のシンフォニー・スペース(Symphony Space)でのコンサートから、59丁目のコロンバス・サークル(Columbus Circle)まで行進した。
シーガーは、生涯を通じて常に楽天的だった。1994年のこと、彼は、「世界の未来へのカギは、楽観的な話題を見付けて人々と分ち合うことだ」と信じていた。
ピート・シーガーの遺業は、このブログでは書き切れません。彼の行動はビデオにも記録され発売されています。是非ご覧ください。
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