2014年1月22日水曜日

老衰で死亡した17歳の青年サム

マーガリット・フォックス(Margalit Fox)報告
2014年1月13日、NYTの記事から抜粋



サム・バーンズ(Sampson Gordon Berns)が去る10日に死亡した。サムはマサチューセッツ州のフォックスボロー高校(the Foxborough High School)の生徒で、生まれながら奇病プロジェリア(progeria:早老症)の重荷を背負って育った。

父親のスコット・バーンズ医師
サム・バーンズは、1996年10月23日、 ロ−ドアイランド州プロヴィデンス市(Providence, R.I.)で生まれた。早老症の診断が下されたのは彼が2歳の誕生日を迎える直前だった。当時、早老症に関する資料は殆ど未開の分野だったので皆無、サムの父親、医師スコット・バーンズ(Dr. Scott Berns)は、妻の妹、オードリー・ゴードン(Audrey Gordon)と共に調査機関を設立し発足した。2007年、ある種の治療薬を発見し、試験的にプロジェリア細胞に適用したところ、或る程度の効果はあったようだが実用にはほど遠かった。

普通の人の細胞(左)とサムの細胞
早老症とは、言葉通り、育つ過程で体内の細胞が急速に老化する遺伝性の奇病(稀病)で、 病名はハッチンソン・ギルフォード、プロジェリア症候群(Hutchinson-Gilford progeria syndrome, HGPS, Progeria syndrome) だが、略称『プロジェリア症』で通っている、400万人ないし800万人に一人という稀な病いである。症状は毛髪の脱落、加速的な細胞の老化、関節の不調、心臓病とかで、およそ13歳前後で心臓マヒか卒中で死亡している。

母親のレスリー・ゴードン医師と。
2003年、サムの母親レスリー・ゴードン(Dr. Leslie Gordon)を含む前述の調査機関チームが、プロジェリアの遺伝子を隔離することに成功したが、その治療法はまだ発見されていない。サムにとって幸せだったのは、母親が早老症を専門的に調べ始めただけでなく、父親スコット・バーンズも医師であったことである。


サムの若い生命の闘争を記録したドキュメンタリー映画、『サムの人生観(Life According to Sam);2012年』は、昨年のアカデミー賞候補に上ったこともあり、目下HBOを通じて公開中、その内容はニューヨーク・タイムズの週刊誌が取り上げ、また『TEDxコンファランス(TEDx Conference)(下掲のビデオ)という地域社会団体がサムを講師に招いたりしたので、サムの名とその奇病人生について広く一般が注目するようになった。

『サムの人生観』ビデオ
サムの人生観』はサムが13歳の時から撮り始め、その後3年間の成長過程を追跡記録したものだ。その撮影に先立ち、サムは映画制作者たちに条件を提唱した。曰く、僕は自分の全てを大衆の前にさらけ出すわけですが、僕は皆さんに同情の目で見られたくありません。僕を気の毒だと思う必要は全くないのです。なぜって、僕はみんなに、これが『僕』なんだ、という僕の(ありのままの)人生を知ってもらいたいからです。」

小柄で、度の強い眼鏡をかけたサムは、何事をするにも熱心に情熱を傾けた。それは、数学や科学であり、コミック本であり、スカウト活動(Eagle Scout)であり、高校バンドのドラム奏者であった。『TEDx』の講演では(下掲のビデオ)、高校でマーチング・バンドのドラム奏者ぶりを見せる。普通のドラム(18キロ)では、体重22.7キロしかないサムには重過ぎるので、両親が技術者に注文し、軽量で携帯可能な特製のドラム(2.7キロ)を作らせた。サムの晴れ晴れとした行進ぶりをご覧いただきたい。

サムの寿命が迫ってきた時期、彼は大学へ進学して遺伝学や細胞の勉強をするつもりだった。サムは、「どんな道へ進むにしても、僕は世の中の為になるようなことをしたい。それが何であれ、達成できたら僕はとても幸せになる」と目を輝かせていた。


上掲ビデオの焦点(サム)の、幸せ人生への信条;YouTube より:12分45秒

1. どんなに努力してもできないことがあったら、それは気にしないこと。だって、他にたくさんできることがあるんだもの。
2. 身近かに、付き添っていてもらいたい人々が周りにいてくれること。
3. 前向きに進むこと。
4. できるだけ、パーティに欠席しないこと。(会場から笑い)

そして結論として;

「僕の人生はとっても幸せです」

1 件のコメント:

  1. 私は、この17歳の青年から人生の大切な指針を教えられました。無条件で頭が下がります。冥福を祈ると同時に、サムの死が多くの人々に勇気を与えることを信じて疑いません。

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