2014年2月2日日曜日

アップル社、過去30年の点描

アップル社、回顧30年の点描

今から30年前、1984年1月、アップル社(Apple, Inc.)のコンピューター、マッキントッシュ(Macintosh)が発売されるとカリフォルニア州クパチノ本社(Cupartino)で開かれた株主総会で発表された。

伝説的なアップル、新製品のテレビ・コマーシャル。1984年のスーパー・ボウル(Super Bowl)のゲーム放映中に流されたCMらしからぬ CMは、視聴者を驚かせた。ジョージ・オーウエル(George Owell)の小説『1984』の影響を受け、イメージが重なる。


スティーブ・ジョブス()とジョン・スカリィ(John Sculley)
当時は、大小企業の殆どは、まだ電気(または電子)タイプライターが全盛で、個人用(パーソナル)コンピューター(PC:パソコン)は普及していなかった。ごく一部の計算業務で、IBMのコンピューターを使い始めていた。このコンピューターのワープロ機能が認められるや、次の二、三年の間に、オフィスからタイプライターを駆逐してしまった。利点は、誤字の訂正、編集、変更などをスクリーン上で行い、完全な文章になってから印刷することで、能率が上がり、ムダが省けるようになった。

初期のロゴ、1999年まで
オペレーション・システム(Disc Operation System: DOS)は、ビル・ケィツ(Bill Gates)マイクロソフト社(Microsoft)が開発し、IBMおよび、そのクローン機種のコンピューターに組み込まれ、その面ではほぼ独占してしまった。だが、アップル社のマッキントッシュでは、独自のオペレーション・システムを開発していた。それはIBMのシステムより合理化されていて、利用者にとって扱い易くできていた。皮肉なことに、それが却ってアップル社の市場開拓を妨げていた。つまり、IBM系の利用者たちは、マッキントッシュを『大人の玩具』と軽蔑していたのである。

1999年から現在までのロゴ
やがて、マッキントッシュ・システムの扱い易さは、グラフィックスの面で頭角を顕わしたのである。グラフィックスとは、写真の処理、イラスト、立体描写、各種フォント、デザイン、文書レイアウトなどを作成する分野のことだ。かくして、マッキントッシュは、デザイン分野の市場を確実に開拓していった。

その分野で遅れをとったIBM系のコンピューターが、失地挽回を目指して開発したのが『ウインドウズ(Windows)』で、グラフィックスの処理ができるようになった。だがこれはあくまでも従来のシステムを土台にしていたため、マッキントッシュの能力と比べると遥かに劣っていた。

1984年3月、本格的生産に入ったマッキントッシュ

アップル、iPhone 5
それでもコンピューター業界での市場シェアは、IBM系が大半を占め続けていた。

その市場シェアが逆転し、アップル社の独走態勢を決定的にしたのは、2000年代に入ってから、スマートフォン、アイフォン(iPhone®:スマホ:右の写真)やタブレット、アイパッド(iPad®)などを次々と発表し、その爆発的な人気以来である。1984年のマッキントッシュ発売以来、30年目の今日、アップル社は『世界で最も重要な企業の一つ』という評判を獲得した。

この功績は、何と言っても自宅のガレージで細々とコンピューター製作を始めた創立者、今は亡きスティーブ・ジョブス(Steve Jobs:左の写真)の弛まない創造力に負う所が大きい。

ジョブスの死後、かれの遺志を継いだ後継者が最近発表した高性能チップ『A7』を内臓したアイパッド・エア(The iPad Air)は、時代の最先端を行くタブレットである、とはアップル社の自賛する携帯用、驚異的な多機能をもつ最新製品だ。

 そのアップル社について、あまり知られていない面の点描

 創業者の主役、スティーブ・ジョブスの母は、ジョアン・シーブル(Joanne Schieble)、父はシリアからの留学生、アブダルファタァ・ジャンダリ(Abdulfattah Jandali)。二人がウイスコンシン大学の学生だった頃に恋仲となり、スティーブが生まれたが、1955年ジョブス家が養子として引き取った。

ニュートンとアップル
 アップル社は、スティーブ・ジョブス、スティーブ・ウォズニァク(Steve Wozniak)、ロナルド・ウエイン(Ronald Wayne)の三人により、1976年に創立。ウエインは、アップル社のロゴを考案し(左の図:ニュートンがアップルの落ちるのを見て万有引力を発見したという故事にちなんだ社名、このデザインは採用以前のもの)、共同経営の合意書を作成し、最初の機種アップル・ワン(Apple I)の使用説明書を作った。だがウエインは、負債を抱えていた会社の将来を危ぶみ、投資した10パーセントの出資金を、たった800ドルで譲り退社した。その時の800ドルは、今日のアップル社の価値に換算すると350億ドルに相当する。

 アップル社は『白』が好き
当初、スティーブ・ジョブスは、むしろ『淡い灰色(moon grey)』を好んだが、イギリス人のデザイナー、ジョニィ・アイヴ(Jony Ive右の写真)に説得されて『白』に傾いた。アイヴが『白』に魅了されたのはは、デザイン学生の頃からだったそうだ。

 パッケージングのこだわり
アップル社の製品はもとより、それを包装するパッケージングのデザイン制作には、計り知れない時間と知恵と労力を費やしている。完全な製品にふさわしい完全な包装を、というわけだ。確かに、そうした努力が、消費者に反映し、パッケージを開いて新製品を取り出す瞬間、神秘的な期待を持たせるという効果につながる。

 最初のアップル・ワン(The Apple I)、魔性な正札
最初のアップル・コンピューター、アップル・ワンの卸値が500ドル。スティーブ・ウォズニァクが、それに3分の1上乗せし、小売り価格を666.66ドルと割り出した。この数字がたまたま悪魔的な暗示をしていることが指摘されたが、同じキーが並んでいてタイプし易い、ということで収まった。

 商標『マッキントッシュ』の語源は果物のアップルから
この『マッキントッシュ(Macintosh)』は当初、内部だけのコード名で、アップル社員で新製品開発部門にいたジェフ・ラスキン(Jef Raskin)が、彼の好物だったリンゴの一種を命名した。たまたま、イギリスのレコード会社にアップル・レコード社が存在し、1963年に初期のビートルスのアルバム、『ビートルズお目見え(Meet The Beatles)』を発行し、そのLPレコードのラベルには、マッキントッシュが占めいた(右の写真)。発想が類似していたので、商標登録に抵触せぬよう、スペルを少々変えた。一時、ステイーブ・ジョブスが『バイスクル(Bycicle)』を押したが、『マッキントシッュ』が最終製品名として残った。今日では『マック(Mac)』で通っている。

 スティーブ・ウォズニァク(左の写真)は未だにアップル社員である。
1967年当時、アップル社の共同創始者の一人だった『ウォズ』は、1987年に正社員から退いた。でも彼は未だに人事帳簿上、アップル社員として記載され、毎年12万ドルの恩賜金を受け取っている。

 スティーブ・ジョブスの最期の言葉
膵臓ガンで死の床にいたスティーブが最期に遺した言葉は、「オー、ワオ。オー、ワオ。オー、ワオ(Oh wow. Oh wow. Oh wow)」だった。これはスティーブの妹、モナ・シンプソン(Mona Simpson)が、スティーブを見守る近親たちの間で目撃し、ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した彼女のスティーブ礼賛、弔文の一部にある。

 アップル社の出荷は、空輸のみで船便なし
理由は『迅速、安全』の二語に尽きる。特に中国で製造することが多いから、空輸だと米中間、15時間で届く。船便だとドックで待機する時間が永く、貴重な製品の安全が保証されていない。

 宣伝用の写真はコンピューターの制作ではない
こうしたウエブサイトや宣伝で見られるプロモーション用の写真は、コンピューターで作成したものではない。これらは、超高解像度の写真を拡大したものである。
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高橋 経以上、出典は news.com.au Wikipedia および  New York Timesから

1 件のコメント:

  1. 私のコンピューター歴は、この30年と並行してきた。それだけに、個人的な思いも感慨深いものがある。言うまでもないが、私はマック一辺倒だ。

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