2013年11月21日木曜日

75年前のポスター

高橋 経
2013年11月20日

今から68年前、日本が日米戦争に破れた時、デヴィッド・グーレイ(David Gourlay)はアメリカ軍のGIで占領軍の一員として日本に進駐していた。関西方面に駐在し、廃墟を巡回していた時ある工場に立ち寄ったが、操業はおろか、破損して取り残された器械や工具が散乱していいるだけだった。ふと壁にかかっていたポスターに目が止まった。日本語は不可解だったが、描かれた男性の肖像に惹かれ見つめていたが、思い切って壁から外した。それを見ていた同僚に、「そんなモノどうするんだ?」と聞かれたが、笑って返事もせず八つに畳んでサックに収めた。デヴィッド25才の時だった。

復員してミシガン州の実家に帰り、木工技術を習得し、ヴァイオリン作りなり間もなく結婚し、娘が生まれローラ(Laura)と名付けた。ローラは長じて小学校の先生になり、婚期はやや外れたが同僚のジョン(John)と意気投合して結婚し、一女リナ(Lina)をもうけた。

リナが小学校に通うようになった頃、ローラは日曜毎に娘を連れてクエーカーの集会に出席するようになった。その小さな集会には私ども夫婦が通っていたので、お互いに知遇を得、従ってローラの父親、デヴィッド夫妻とも知遇を得ることになった。

私は、娘のローラより父親のデヴィッドと年令が近かったことと、戦争末期の体験に共通する点があったため、彼と急速に親しくなり、戦後の日本のことなど話し合った。

ある日デヴィッド、「見せたいものがある」と言って押し入れから出してきたのが下掲のポスターである。その入手経路は既に述べた通りだ。日本語のスローガンは既に誰かに頼んだのであろう英訳されていた。私が75年前の日本の状況を回想していたのを、ポスターに惹かれたものと解釈したのか、デヴィッド「欲しければ持っていき給え」と言ってくれた。別に欲しくて見とれていたわけではなかったが、友情として頂いておいた方がよかろうと判断した。

このポスターを持ち帰ってから一月近くなる。保存状態はよかったのだろうが、何ぶんにも年月を経たので紙は茶色く焼けて乾燥し、折り目は傷んで八つに裂けてしまっていた。先ず、バラバラになったポスターを裏打ちし、スキャナーにかけてデジタル化し、割れ目や汚れを修正した。

私が結論を提唱する前に、下掲のポスターをとくとご覧ください。
デジタル化し修正を加えた作品 (53 cm x 80 cm)
オリジナル左上部の一部。日焼け、折り目にご注目
ポスターの右上にある発行年月日
ポスターの左下にある発行者その他 
ポスターの右下にある創業年と『非売品』掲示

このブログ読者またはお知り合いの方で、上掲のポスターの現物をご所望でしたら無料でお譲りいたします。たった一つの条件は、歴史的、骨董的価値を尊重して大切に保管してくださる、という以外は全くありません。

1 件のコメント:

  1. デザインや芸術的な観点から観賞すると、このポスターの価値を見失います。書は正統派ですが、『な』を二通りの書体を使っているのには何か理由があるに違いありません。人物は日本画の伝統スタイルで『近代的』な表現を加えています。表情に苦労した跡が感じられますが当然のことでしょう。時代は日支事変が始まり1年後、この3年後に日米戦争に突入します。物資不足、生産の需要は高かったが、それを満たすには想像を絶する努力が要求されました。どの種の工場も厳しい条件の下で運営されていたことをお考えください。

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