2013年11月30日土曜日

11月の追悼:千代子、清二(喬)、チコ

11月8日死亡
島倉千代子(しまくら ちよこ) 75才


11月25日(日本時間)死亡
堤清二(つつみ せいじ/筆名:辻井喬つじい たかし) 86才

 [毎日新聞、余録から原文のまま] 「おいしい生活」などのコピーで1980年代消費文化
2011年8月
をけん引したセゾングループだった。1988年には西武池袋店、西武百貨店全体、グループ売上高がそれぞれ業界1位となる3冠王を達成したという
グループの代表だった堤清二さんがビジネスにおける栄光を極めたその当時のことだ。詩人の辻井さんは詩集「鳥・虫・魚の目に泪(なみだ)」を発表した。「きつつきはたたく たたく/たすけを呼ぶ技師のように」で始まる冒頭の作品は次のような言葉を繰り返していた「私ハモウ駄目(だめ)デス モウ駄目デス 駄目デス」。詩集は喪失と挫折(ざせつ)に彩られていたとは当人の回想である(「叙情と闘争」中央公論新社)。詩人の感性は後のバブル崩壊と経営の挫折を予感したのか。時代の運命をそれぞれに負った「堤清二」と「辻井喬」であった若くして西武百貨店を率いた実業家であり、小説「父の肖像」、詩集「群青、わが黙示」などの作品で知られる作家・詩人でもあった堤さんが86歳で亡くなった。「二足のわらじ」とは陳腐(ちんぷ)な言い回しだが、特大のわらじ2足があって初めてなしとげられたこともある堤さんには、三島由紀夫(みしまゆきお)の「楯(たて)の会」の制服調製を自分の百貨店で引き受けたとの逸話(いつわ)もある。それは番外としても、後に企業人で文化人でもある堤さんが一変させたのは日本の企業と文化との関係だった。美術や音楽、演劇など多彩な分野での企業の文化貢献である晩年は「死」と向き合う詩作の中で、「戦死できずに生き残った」という同時代の死者たちへの負い目を記した。二つの生を往還(おうかん)することで、身をもって描き上げた堤さんの「戦後」だった。


11月25日(米時間)死亡
チコ・ハミルトン(Chico Hamilton) 92才

ドラム奏者、バンド・リーダー。クール・ジャズで独自の創作曲を発表し続けてきた。

1 件のコメント:

  1. どんな音楽でも、そのメロディを聴いていると、それがヒットした当時の回想が自然に湧いてきます。そのミュージシャンが他界しても音楽は永遠に生きているようです。

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