2014年5月10日土曜日

理髪店:アメンボゥ看板の由来


何十年も前、私が子供だった頃、床屋(とこや、理髪店)の表にある回転する赤、白、青のアメンボゥ電飾看板は、理髪師が外科医を兼ねていた頃にデザインされたのだ、とある少年雑誌で読んだ記憶がある。つまり赤は血を、青は静脈を、白は包帯をそれぞれ象徴していたのだという由来を知って、なるほどと感心したものだった。

あれから20年経って渡米し、アメリカでも、理髪店に赤、アメンボゥ看板が掲げられているのを無意識に眺め、これが世界共通のシンボルであると抵抗なく納得し、その由来についてはすっかり忘れていた。それが数日前、偶然にその由来を調べ上げた報告記事を発見し、忘れかけていた昔日の知識が鮮やかに蘇ってきた。

以下、5月1日付け、ジュード・スチュワート(Jude Stewart)の記事から要点だけ抜粋してご紹介する。編集:高橋 経
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"History of Signboards"


(スチュワート)は永いこと、「理髪店のアメンボゥ看板の由来は?」という疑問を抱いていた。それが、『看板の歴史(History of Signboards1866年発行: 右の写真)』という古書に出会ったお蔭で氷塊した。

この本はヴィクトリア朝時代のロンドンで1866年(148年前!)に発行された本で、ジェィコブ・ラーウッド(Jacob Larwood)と、ジョン・カムデン・ホッテス(John Camden Hottes)の共著によって完成した。著者たちは、当時のロンドンを中心として、目につく限りのありとあらゆる看板を収録し、編纂した。例えば、3個の金ボールで形成した質屋の看板(左下の写真)は、中世期に権力を握っていた銀行主メジチ家(the House of Medici)の紋章に由来していることまで調べ上げていた。

余談になってしまったが、問題の理髪店のアメンボゥ看板についても、ラーウッド、ホッテス、両著者は、明快な由来をひも解いてくれた。それによると、理髪師が刺胳(しらく:静脈を切って悪血を抜き取る原始的な医療法)の施療も兼ねていた時代に遡る。当時の患者は施行中に、立てかけた柱を握り、そうすることによって出血が柱を伝い、なだらかに流れ落ちるのであった。当然、柱には血痕が残る。それが乾いた後、柱は赤いペンキで塗られ、治療外の時は更に白い包帯をラセン状に巻き付けて店の前に立てかけておいた。

理髪師の複業は、更に歯科医も加えていた。(右の写真)その多角経営振りを皮肉った詩が掲げてあった。その詩の要点は、「ひげを剃り、悪い血を抜き、黒い虫歯を抜いて、残っているのは静脈(青色)のときめき」ということで、赤と白の柱に青が加わることになり、理髪専業になった今日まで、複業当時のデザインがそのまま受け継がれてきたのである。

(註:この後、理髪師を揶揄する件りが綿々と続くのだが、イギリス人のユーモアは理解し難いので省略する。ご容赦の程を。)

この項、『理髪師とアメンボゥ看板』由来の最後は、フランスの理髪店のショーウインドウに張られたポスターで結ばれている。その文案は、「この店へくると若返ります。(原文: Ici on rajeunit )」とあり、更に、「天然は人々に毛髪やヒゲを与え給い、私(理髪師)は、喜んでその両方を奪い取る(La nature donne barbe et cheveux, Et moi je les coupe tous les deux)」となっている。左掲のイラストはイギリス版で、「ご自分でおヒゲの調整をなさってはいけません。(それは理髪師にお任せを、、、。)とのことだ。


(註:理髪師が複業から専業に変わった時期について触れていないが、多分、近代医学の発展に伴って理髪に専念するようになったものと推測される。)

1 件のコメント:

  1. アメンボゥ看板は古今東西を通じて誰でも認識できる優れたデザインだと思います。
    ラセンの電光看板が回転すると、見た目には、回転しているというより、赤、白、青が、限りなく上って(或いは下がって)いくような錯覚を起こします。

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