2014年4月9日水曜日

ルーニィ:浮き沈みの生涯に幕

去る日曜日、4月6日、俳優のミッキー・ルーニィ(Mickey Rooney)が93歳で亡くなった。ルーニィと言えば、唱えて、踊れて、ピアノを弾き、ドラムを叩き、芝居ができ、子役から始まり、老け役をこなした俳優として知られている。その浮き沈みの激しい生涯をここで語るには余りにも多くのエピソードがあるので数字で示すことにした。詳しい伝記は、ルーニィの自伝『人生は短し(Life Is Too Short)』でお読みいただきたい。まずは冥福を祈る次第。 編集:高橋 経 (資料は主にニューヨーク・タイムズ紙から)


数々の受賞を顧みるルーニィ(2011年頃)

数字で示すミッキー・ルーニィの生涯

  • 2歳(17ヶ月)でバーレスクでの初舞台。
  • 6歳でMGM映画に初出演。
  • 1936年、子役としては破格の週給2千500ドル。
  • 17歳から24歳まで、アンディ・ハーディ(Andy Hardy)役で人気を獲得
  • そのシリーズが上げた興行収益は7千5百万ドルで、ルーニィ主演の映画は一位を続けていた。
  • 1937年~1944年当時の貨幣価値は、入場料が25セント
  • 40歳までに1千2百万ドル・スターになったが、ギャンブル、派手な生活、飲酒、競馬馬の投資など出費は収入を上回った。
  • この8年間に36本以上の映画に出演した。
  • 28歳、少年役で受けた短躯のルーニィにふさわしい役柄がなく、収入が途絶えた。
  • ラス・ヴェガスの舞台に立ち週給1万7500ドル稼いだが、その倍の金をギャンブルに注ぎ込み借金が膨れた。
  • 40歳代に破産。
  • 生涯で200本以上の映画に出演、アカデミー特別賞1回、アカデミー賞候補4回。エミー賞候補5回、内1回受賞
  • 42歳でバーバラ・トマソン(Barbara Thomason)と5度目の結婚、3人目の息子が生まれた。当時の所持金500ドル、借金50万ドル、滞納税金10万ドル。(付記:3年後に離婚したバーバラは、嫉妬に狂った愛人に射殺された。)
  • 結婚8回、離婚7回は、エヴァ・ガードナー(Ava Gardner)と1年間の結婚を含む。
  • 1978年、8度目の結婚相手はカントリー歌手、ジャン・チァンバリン(Jan Chamberlin)。この頃から断酒、クリスチアンに生まれ変わり、生活が安定した。
  • 59歳でブロードウエィの舞台シュガー・ベィビィズ(Sugar Babies)1979年』に復活出演、3年続いたこのショーで再び脚光を浴びた。
  • 1983年、過去60年に及ぶミッキー・ルーニィの芸能人生を賞賛するアカデミー名誉賞が授与された。
  • 昨2013年、義理の息子夫妻から『老人虐待』を受けたことの訴訟事件に勝訴し、2千8百万ドル支払われることで和解した。
  • 93歳で死亡(1920年9月23日~2014年4月6日)

回顧アルバム

2歳(17ヵ月)のルーニィ、バーレスクでの初舞台。

スペンサー・トレーシー主演、『少年の町(Boys Town: 1938)』に共演。

ルーニィ21歳の誕生日祝い。右はエヴァ・ガードナー、左はMGMのルイス・メィヤー。

ジュディ・ガーランドと数本撮った共演の一つ、『ブロードウエーの赤ん坊たち』。

エリザベス・テーラーの出世作になった『ナショナル・ヴェルヴェット:1944』。

第二次大戦中徴兵され、戦場で兵士達を愉しませるルーニー。

短躯というハンディを退け、活発な演技で売ったルーニィ:1957年。

落目のルーニィがオールスター映画『It’s a Mad, Mad, Mad, Mad World:1963』でバディ・ハケットと共演。

2009年、第二次大戦記念館の開館式でトム・ハンクスと握手するルーニィ。

2011年『老人虐待」の聴聞会で自己の体験を陳述。

死ぬまで続いた8度目の結婚相手ジャンと二人で安泰な老後。演技は止めなかった。


1 件のコメント:

  1. 好きな俳優ではなかったが(「嫌い」という意味ではない)これほど力一杯、精一杯演する俳優は古今を通じてあまり見当たらない。特筆に値いする俳優である。

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