志知 均(しち ひとし)
2014年4月
今年の冬のミシガンでは記録的な降雪があった。その雪が溶けた後の、四月から五月へかけての自然の変化は素晴らしい。木々の枝が赤らんでくると、やがて若葉が顔を出し、しばらく気が付かないうちにすっかり新緑の春になっている。植物が新しい生命活動をはじめる。我々は花や草木を文学や美術の対象として愛するが、植物が自己防衛や生存のためにお互いに助け合っていることなど、その生態については知らないことが多い。そこでこの小文では、生物としての植物についての興味ある話題をいくつか紹介しよう。
ネナシカズラ |
まずは自立心ゼロの植物の話。北アメリカのいたる所で見られるネナシカズラ(dodderと呼ばれる。ラテン名はCuscuta pentagona)は五弁の白い花を咲かせる可憐に見える植物だが、根もなく、光合成のための葉緑素も持っていない。つまり土中の無機栄養素もとらず、エネルギー源の糖類も作らない。生存のためには、ほかの植物に巻き付いて茎に穴をあけ栄養素を吸収する完全な寄生植物である(ヒトでもこんなタイプがいますね!)。興味あることに、どんな植物にでも巻き付くのではなく、トマトなど特別の好みがある。
ベータ・マーセンの化学物質の模型 |
トマトを栽培したことがある人ならご存知と思うが、生育中のトマトは特殊な匂いを発する。ネナシカズラがトマトを好むのはその匂い物質ベータ・マーセン(beta-myrcene)に惹き付けられるからである。小麦もベータ・マーセンを放出するが、ネナシカズラが嫌う物質ヘキセ二ル・アセテート(Z-3-hexenyl acetate)も放出するので、小麦には取り付かない。相手の匂いによって好き嫌いが決まるのは動物に似ている。匂いは植物がコミュニケーションする『ことば』であって、春たけなわ、新緑の匂いに空気が満たされるのは植物同士が盛んに「話し合っている」証拠である。
匂い、即ち揮発性物質によって情報伝達するのは、動き回れない植物の自己保存、種保存にとって特に重要である。イモムシが柳の木に取り付いて葉をたべると、障害を受けた葉が揮発性物質を放出し、自分の他の葉だけでなく、近くに生えている仲間の柳の木に知らせる。この情報を受けた健康な葉はイモムシが嫌う物質、フェノール酸やタンニンを合成し食べられないようにする。同じようなイモムシ対策は、ポプラ、サトウカエデ、オオムギなどでも見られる。植物が揮発性物質を感知するのは、まさに『臭覚』と言えるが、大脳も中枢神経ももたない植物がどのようにして匂いを感知するのかそのメカニズムについてはまだよく判っていない。
根に土壌菌を共生させる器官 |
植物は、情報伝達を地上だけでなく地下でも行っている。四億七千万年前に植物が地上で生育、繁殖できるようになったのは、土壌の栄養物を根から吸収できたからである。それに欠かせなかったのは、土壌微生物との共生で現存する地上植物の80%以上が、根に土壌菌を共生させるための特別な器官(mycorrhizaeと呼ばれる)を形成している。植物は菌からリン、マグネシウムなどの無機物をもらい、菌は植物が光合成する栄養物をもらう。土壌菌の中には繁殖のために『キノコ』を形成して地上に顔を出すものがある。松茸や椎茸はそのたぐいでキノコの傘の下にできる胞子をまき散らして繁殖する。
情報の伝達物質abscisic acid |
地下での情報伝達の例として、マメ科の植物は、干ばつの兆候を感知すると水分を失わないよう葉表面にある気孔を閉じるが、同時に干ばつの警報を近くに生えている仲間に伝える。その情報の伝達物質(abscisic acidなど)は植物の根と根をつなぐ土壌菌の糸状ネットワークを通して伝えられるようだ。同じような地下での情報伝達は木と木の間でも行われているにちがいない。2009年の空想科学映画アヴァター(Avatar)で、月(パンドラ)に密生する植物が根から根へ情報伝達しているのを見て、シナリオライターの空想に感心したことを覚えている。
植物が、風による葉擦れの音だけでなくそれ自身で音を発することが知られている。それに注目した研究者は、植物は音を情報伝達に使っているのではないかと云っている。例えば、トウモロコシの苗を水中栽培するとカチカチ音を発する。その音をテープにとって苗に『聴かせる』と、根が音のする方向へ曲がるという。更なる研究が必要だが、音は伝播が早くて確かで有効な伝達手段になりうる。植物がどのようなメカニズムで特定の波長の音を感知するのか興味ある課題である。
植物が、害虫の襲来や干ばつの危険などを仲間の植物に知らせるのは『知的行為』といえよう。知的行為は、動物に限られていると考えられてきたが、自己防御の点で植物は我々が想像する以上に動物に似ているようだ。まさかと思われるかもしれないが、植物にも病原菌感染に対処するための免疫機能が存在する。
免疫には大別して、進化的に古い先天性免疫(innate immunity)と新しい適応性免疫(adaptive immunity)の二種類がある。適応性免疫は抗原に対する特異抗体を生成する細胞や、抗体を作る記憶を維持する細胞が関与する免疫で脊椎動物にしかない。先天性免疫は動物にも植物にも存在するが、病原菌に対する特異性やそれを記録する機能はない。ヒトを含む動物が病原菌に感染すると、先天性免疫で菌の細胞壁にある物質(脂質多糖類、LPS)を細胞膜にある受容体(TLR4とよばれる)によって感知する。
タンパク質フラジェリン |
それに続いて細胞内でいろいろな酵素が活性化され感染への準備をする。植物の病原菌感染の場合には、菌がもつ鞭毛のタンパク質フラジェリン(flagellin)を細胞膜受容体(FLS2とよばれる)で感知し、動物細胞の場合と同じように一連の酵素を活性化して感染への準備をする。
TLR 4 |
興味あることに、動物、植物の受容体(TLR4,FLS2)は構造に似たところがあるばかりか、病原菌を感知して示すリン酸化反応や機能が終わって分解されるときの反応(ユビキチンというタンパク質が結合して分解される)も、きわめて類似している。動物と植物は十億年前に分かれてから別々に進化の過程をたどってきたのに、これほど類似した先天性免疫メカニズムを保持してきたことは驚きである。
花の香りや新緑のむせかえるような匂いは植物同士がおしゃべり(情報交換)に忙しい証拠であり、また植物も動物に似た自己防御の免疫をもっていることを知ると、生物としての花や草木に対するわれわれの従来の見方が変わってくる。
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耳すませ 萌える若葉の ささやきに (作者未詳)
動物、植物全て、生命は不思議な知恵と力で満ち満ちていますね。
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