2013年10月29日火曜日

ノーベル平和賞、二つの顔

OPCW団体の幹部役員、Ahmet Uzumcu

結果から先に報告すると、今年のノーベル平和賞は、去る10月11日に決定が発表され、個人ではなく化学兵器禁止団体(Organization for the Prohibition of Chemical Weapons:OPCW)が授賞した。言うまでもないが、さきにシリアの政府が反政府運動を制圧する際に化学兵器を使い、子女を含む一般市民多数を殺害した事件に端を発している。政府はその行為を否定していたが、国連が介入し、化学兵器禁止団体のメンバーを派遣し、その所有を確認し、廃棄処分に同意させた功績に対する受賞であった。
マララ(左)とスチュワート
この平和賞発表に先立つ10月9日、ジョン・スチュワート(Jon Stewart)の司会で人気の高いディリー・ショー(Daily Show)に、ご存知マララ・ユーサフザイ(Malala Yousafzai)がゲストに招かれた。今更マララについて語る必要はないかも知れないが、念のため、この16才のパキンスタン少女の経歴を簡単にご紹介する。

女性蔑視の国パキスタンで、特にタリバン(Taliban)が暴力を駆使して女性の教育を禁止していた。マララ始め教育を身につけたいという向学心に燃える少女たちが、密かに学校に通い、これまた教育に熱心な先生の下に通っていた。

これを知ったタリバンの刺客が、2011年秋の或る日、通学バスに乗り込み、少女たちの主導者と見られたマララの頭を撃ち立ち去った。時を移さず、致命的と思えた頭蓋の重傷を負ったマララはイギリスの病院へ運ばれ有能な外科医の手術と手厚い看護を受け、数ヶ月後、奇跡的に恢復した。

16才になったマララは、今年の始めには国連(United Nations)に招待され、『女子教育の重要』さについて堂々と演説し、満場の大喝采を浴びた。(当ブログ、7月16日参照)

以来多くの支持者を得て、マララは史上最年少の『ノーベル平和賞候補』に上がり、「もしかしたら」と『授賞』の期待が寄せられていた。彼女が選ばれなかったのは多分『将来性』を見越して保留されたのではないかと推察する。

それはさておき、スチュワートの質問にハキハキと答えたマララは立派な国際的な社会人と言えるであろう。その質問の中で際立っていたのが、タリバンの刺客が来たときの心境に対するマララの答である。それは:

「私は、いつかタリバンに襲われるだろうと予想していました。もし彼らが来て私を殺そうとしたら、どうしようか?と考えていました。最初に私が思ったのは、自分の靴を脱いで、それで引っぱたいてやろうか、と自問自答していたのです。でも私は、もし相手にそんな冷酷なことをしたら、私は彼らと少しも変わらない人間でしかない、と思い直したのです。他の人を冷酷に乱暴に取り扱うのではなく、平和的に、言葉で、知的なやり方で論争すべきだと考え直しました。

「私がタリバンの人達に言いたかったのは、『教育がどれほど大切か、よく考えてごらんなさい。私はあなた方の子供たちだって教育を受けるべきだと信じているわ。これが言いたかったのよ。さあ、私を貴方の好きなようにしてちょうだい』って。」
(以上の翻訳はビデオ中のハイライトです。始めのコマーシャルは無視して原語でご視聴ください。)



さすがベテランのスチュワートも、このマララの発言を聞いて絶句した。


高橋 経

2013年10月22日火曜日

渡り鳥よ、来春また会おう


志知 均(しち ひとし)
2013年10月

「さ夜中は深けぬらし雁が音の聞こゆる空に月渡り見ゆ」(柿本人麻呂)
「さざ波のごとくに雁の遠くなる」(阿部みどり女)
 「渡り鳥仰ぎ仰いでよろめきぬ」(松本たかし)



ミシガンのカナダ雁(Canadian Geese)は9月下旬ごろから南へ出発するようだ。西風の強い日の午後などに大きな群れで啼き交わしながら羽ばたいて行くのが見られる。

それで思い出すのが1996年のアメリカ映画『Fly Away Home』。筋書を簡単に書くと、離婚して娘のエミーを連れてニュージーランドへ帰った女性(母親)が交通事故で死亡する。エミーは父親に引き取られカナダのオンタリオに住むが孤独の殻に閉じこもってしまう。ある日荒地に置き去りにされた雁の卵を多数見つけたエミーは卵を持ち帰り、孵化(ふか)させ育てる(左と下の写真)。ひなが若鳥に成長したある日、父親が、鳥の南方への飛翔を助けるため自家製の軽飛行機で鳥たちと一緒に飛ぶことを提案する。そして、10月にオンタリオを出発しメリーランド州の避寒地へ鳥たちを無事誘導する。


映画では見せないが、雁たちは誘導されて記憶した経路を逆行して春にはオンタリオへ自力で帰ることが期待されている。時には数千キロメートルも離れた南の避寒地と北の繁殖地との間を渡り鳥はどうやって迷わず飛翔するのだろうか?


鶴(ツル:North American Whooping Crane)の渡りを8年間詳しく観察した研究者によれば、渡りはグループの年輩の鳥に引率され、若い鳥は経路や飛翔に必要なことを年輩の鳥から学んでいくそうだ。経路の記憶が遺伝で伝わるわけではない。しかし飛翔経路にある山や河や湖などの目印を記憶するだけでは迷わずに飛翔するのは難しい。太陽の位置を知るのは助けにはなるが、雨天、曇天の日や日没後の飛翔には役に立たない。どうやって飛ぶ方向を決めるのだろうか?


その秘密は鳥(及びその他の動物)がもっている地磁気を感ずる感覚にあると考えられている。現在、長旅をする20~30種の動物(渡り鳥)、海亀、イセエビ, 蝶(ちょう:Monarch Butterfly)などで『磁気受容体』の存在が知られている。それは一体どういうものなのだろうか?

生物の磁気感受性は、1970年代に海底に住むバクテリアで初めて発見された。このバクテリアは鉄を含む微粒子が直鎖状になった構造(微小な棒磁石のようなもの)を細胞内にもっており、それで地球磁場を感知して暗い海底でも望む方向へ動いていく。最近、鉄粒子を含む同じような構造が(ハト)その他の鳥の聴覚細胞や虹鱒(ニジマス)の鼻の細胞にも認められている。これとは別に、2000年頃から眼の網膜に存在する色素蛋白が磁気感覚に関係することがわかってきた。この色素蛋白(クリプトクローム、cryptochromeと呼ばれる)は、視覚に関係するビタミンA蛋白とは別のもので、フラビンを含みその作用に短波長の光(blue light)を必要とする。

そのはたらきについては電子の磁性に基づく仮説が出されている。簡単に説明すると、原子核の軌道にある2個の電子は基底状態ではお互いの磁性を相殺しあっているが、フラビン分子が吸収する光エネルギーで励起されると電子間の相殺がなくなり磁性が顕われる。その磁性が地磁気の影響を受ければ磁気受容のシグナルになりうる。そのシグナルがどのようなメカニズムで神経束を介して大脳へ送られるかはまだ判っていない。クリプトクロームは数種の渡り鳥やその他の動物の眼の網膜で確認されている。ここで地磁気についてひとこと述べると、地球の磁場は地球の回転軸とほぼ平行の巨大な棒磁石である。磁気の赤道は地理の赤道にだいたい平行している。地球表面の磁場の強さは地磁気の両極(地図の北極、南極近く)で最も強く赤道で最も弱い。そのため地磁力の方向(ベクトル)と地球表面との角度は赤道で0°、両極でプラス(マイナス)90°となる。即ち緯度によって異なる。渡りをする動物はクリプトクロームや鉄粒子連鎖の『生体コンパス』を使って南北方向だけでなく、磁力の強さと地表面との傾きの角度から緯度を知るのであろう。



典型的な天敵、ワシ
毎年長旅の渡りをするのは鳥だけでなく, 哺乳類(クジラなど)、(サケなど)、(チョウやトンボ)など多種類の生物にみられる。何のために長旅をするのか?気温がよく食べ物が豊富な環境を求めるためとか、繁殖期に天敵に襲われるのを避けるとかの理由が考えられる。しかし季節ごとの長距離移動には、いろいろ危険もともなう。例えば、渡り鳥は大量のエネルギーを飛翔に使うので免疫活性が低下し疲れると病原体にやられやすい。


鳴鳥(songbirds)West Nile virusに、水鳥(waterfowls)鳥Flu virusに感染し易いことが知られている。数種の渡り鳥が羽根を休める休息地としてよく知られるデラウエア湾(Delaware Bay)では150万羽以上(1平方メートルあたり200羽!)の鳥が集まるといわれ、Flu virusにかかる鳥がほかの場所より17倍も多いという。また渡っていく経路や目的地で土地業者による開発や、自然災害による環境破壊が進んでいる土地では、渡り鳥の生存が危うくなる。それを防ぐためにも自然環境の保護は大切である。

この秋に見送る渡り鳥が来春無事帰ってくるのを心待ちにしている。

(写真は、劇映画『Fly Away Home』とドキュメンタリー映画『Earth Flight』から抽出しました)

2013年10月8日火曜日

原爆投下を目撃した物理学者の死


ウイリアム・ブロード (William J. Broad)報告
10月1日付け、NYタイムズ紙より抜粋

物理学者、ハロルド・アグニュー(Harold M. Agnew)が、去る9月29日に亡くなった。

アグニューは、第二次世界大戦中、アメリカ軍部が内密にして焦眉の急だった原爆開発に参加し協力した物理学者の一人で、世界初の原爆が広島に投下された時、別の爆撃機に同乗し、あのキノコ雲(左の写真)を目撃し撮影した。その後、水素爆弾の完成に寄与し、『冷たい戦争(Cold War)』時代には、かの核兵器発祥の地ロス・アラモス国立研究所(the Los Alamos National Laboratory)の所長を務めた。アグニューは、当時の物理学者では最後の生存者だった。

遺族の語るところによると、最近リンパ球白血病と診断され、カリフォルニア州ソラナ・ビーチ(Solana Beach)の自宅で療養中に死亡、享年92才。

アグニュー博士は、アインスタイン博士のように華々しい評判こそなかったが、物理学者としての実績は大きく、不安定で激しい動乱の時代にその専門知識の角度から大統領の顧問を何十年間も務めたタカ派であった。米ソ間の緊張が高かった1992年、モスクワとウクライナのキエフに飛び、壊滅的な戦争を避け、平和を保ち、結果的にはソ連の民主化をもたらす一助を担った。

アグニュー博士は左から4番目
ロス・アラモス国立研究所の現所長、チャーリー・マクミラン(Charlie McMillan)はアグニュー博士について、「人間国宝です。国家は博士に負うところが大きい」と賛辞を惜しまない。

ハロルド・アグニューは1921年3月28日、コロラド州、デンヴァー市で生まれた。スコットランド系の石伐り職の息子で、学生時代にはソフトボール部のピッチャーとして活躍し、デンヴァーの選手権を獲得した。専攻はデンヴァー大学で化学を学び、1942年優秀賞(Phi Beta Kappa)を得て卒業、エール大学(Yale University)の奨学金を獲得した。

だが進学の予定は、極秘の原爆開発計画に関わることによって中断された。1942年の初頭、ノーベル賞受賞者、イタリア人のエンリコ・フェルミ(Enrico Fermi)を長とするシカゴ大学の計画チームに配属されたからだ。それは『ひどい仕事(grunt work)』で、科学的な測定によると膨大量の放射能を浴びることになる作業であった。

そうした健康上危険を避けるため、同大学の一郭に黒鉛レンガで『炉』を築き、その中にウラニュームを積み上げて実験研究を進めることになった。1942年12月2日、アグニュー博士を含む数十名が『炉』の周りに集まり、ウラニュームの連鎖反応を観察した。その原子は予想通り二つに分裂した。その成功が意味することは、人類に光明を与えるか、破壊し潰滅させるかにあった。時に博士は21才だった。

ロス・アラモス研究所の関門
翌1943年3月、アグニュー博士は妻ビヴァリー(Beverly)を伴い、ロス・アラモス研究所に移住した。丈の高い常緑樹がそびえる谷間で、二人は他のカップルと住居を共にした。その夫は毎日三度の食事は欠かさず中国料理をつくる人だった。

そうした環境の中で、博士は原子粒子の加速装置を設置するのを助け、その実験データは、各種爆弾の設計に役立った。

日本軍がアメリカ軍に押され敗退に敗退を続け、大都市が次々と焦土と化していた1945年7月16日、ニュー・メキシコ州の砂漠で初の原爆実験が行われ成功した。アグニュー博士は既に、広島への原爆投下に心の準備ができていた。それまでに多くの友人が戦死していたこともあり、原爆が戦争の終結に役立つと信じていた。その願いも込めて、爆弾の表面に署名をした。

広島に原爆を投下したエノラ・ゲイ
8月6日、リトル・ボーイ(Little Boy)と名付けられた原爆を搭載したエノラ・ゲイ(Enola Gay)と同航する爆撃機B-29に、アグニュー博士は他の科学者二人と共に乗り込んだ。彼らの役割は爆風の強度を測定することだった。その職務とは別に、博士はベル・アンド・ハウエル(Bell & Howell )16ミリ撮影機で、爆撃機の小さな窓から原爆の破壊力と広島の惨状を撮った。古今を通じて核実験から原爆の破壊力全てを目撃した証人は、アグニュー博士だけだったであろう。

戦後1949年、彼はフェルミ博士の元でシカゴ大学で学び博士号を取得した。その後ロス・アラモスへ戻り、ソ連の科学技術分野での能力を査定する調査団に加わった。同年、ソ連が原爆実験に成功し、欧米圏に恐怖を与えた現実に備えることが研究所の新たな課題になった。

1952年に成功した最初の水素爆弾は、65トンという驚異的な怪物だった。その水爆を長距離爆撃行に適する軽量化に、アグニュー博士が大きな貢献をした。

博士は1960年代、ヨーロッパにおける連合国司令官の科学技術顧問として、大統領に直属する対核兵器の防御設備を開発する責任を負った。ロス・アラモスに戻った博士は、ミニッツマン( the Minuteman)大陸間弾道ミサイルの核弾頭やそれに属する武器を開発する兵器部門の部長に任じられた。

1970年には、7千人の所員を抱える同研究所の所長に昇格した。一方で、ロス・アラモス研究所を運営していたカリフォルニア大学の政治的勢力が、博士に『戦争犯罪者』のレッテルを貼り、所長から追放する画策をしていた。

1978年、アグニュー博士は当時のジミー・カーター大統領(Jimmy Carter)に忠言し、核実験の具体的な禁止案に反対する意見を提出した。博士の意見は、そうした東西間の核禁止傾向は、新しい兵器の開発を助長するばかりか、現存する兵器に対する信頼性を失うことにもなり兼ねないという懸念からであった。結果として、ホワイト・ハウスは『禁止』案を撤回した。

所長の地位から引退したアグニュー博士は、核エネルギーの一般利用を推進する道を探求していた。1979年3月、博士はサン・ディエゴに拠点を持つ革新的な原子炉メーカー、ゼネラル・アトミックス社(General Atomics)の社長に就任した。

博士は、1982年から1989年まで、ロナルド・リーガン大統領(Ronald Reagan)の元で、ホワイト・ハウスの科学顧問を務めた。『冷戦』の後1991年、米ソ両国の爆弾製造業者たちの会談に参加し、核兵器の減少への道を追求した。翌1992年博士は、アメリカがロシアが放棄した核兵器用のウラニュームを買い取れば、それによって不安定なロシア経済を救い、核戦争の危険性、事故や盗難の可能性を少なくできると勧告した。その年の8月、ホワイト・ハウスは、最低500トンに及ぶ資源を合意の上、数10億ドルで買い取る計画があると発表した。

かくして、ロシアが放棄した核弾頭用のウラニュームは、希釈され、核戦争を避け、原子炉で電力となり平和的に再生活用されることになった。

ハロルド・アグニュー博士の遺族は、娘が一人息子が一人、孫が四人、ひ孫が三人である。


博士はロス・アラモスに偉大な功績を残した。その証拠の一例に、彼が晩年の頃、時々ハロルド、戻ってきて(Harold, come back)』という鮮やかなオレンジ色のバンパー・スティッカーを付けた車を見かけたものだ。


(イラストは高橋経著『Seven Lives』の本文から)

2013年10月2日水曜日

ブランド名の価値を評価


スチュアート・エリオット(Stuart Elliott)報告
2013年9月29日付け、NYタイムズ紙より抜粋

今年のブランド名価値評価の世界第1位は、年次報告に基づき『アップル社(Apple)』が勝ち取った。過去第1位を守り続けていた『コカコーラ社(Coca-Cola)』は、『グーグル社(Google)』にも抜かれ、第3位に落ちた。

この価値評価は、オムニコム・グループ(the Omnicom Group)の傘下にあるインターブランド社(Interbrand)という企業認識(corporate identity)とブランドを専門とする顧問会社が、2000年以来『世界のベスト・ブランド(the Best Global Brands)』の資料を集計し報告し評価してきた。評価は、経営状況を含む企業の実績を基準にして考慮される。「これこそ本物の味(It’s the real thing)」というスローガンで第1位を守り続けていたコカコーラ社が第3位に落ちたのは画期的な現象である。一方、今年第1位に浮上したアップル社は、2011年に第8位、昨年は第2位と、飛躍を続けていた。

インターブランド社の最高幹部、ジェツ・フラムプトン(Jez Frampton)は、「アップル社が第一位に浮上したのは、時間の問題だった」と、当然の成り行きとして見ている。「『王様は永遠』と皆さんは考えていたでしょうが、今年はアップル社が王様になりました。同社は斬新的な商品(訳註:アップルはスマートフォンの操作を革新したiPhoneを発表して以来、爆発的な人気を集め世界に広めた。)を創ったばかりでなく、社風も万人を魅了するほどの斬新さを持っています。過去13年間、第1位に君臨していたコカコーラ社を凌いで王座を獲得するだけの実力は充分でした」と語る。

アップル社のブランド価値は983億ドルと見積もられている。昨年と比べて28パーセントの増収である。コカコーラ社も2パーセント上がって792億ドルの収益を上げたが、14年目の王位を確保するには至らなかった。アップル社のみならず、他のハイテク産業が、このブランド評価の10位にひしめいているのは、いずれも市場開発の特技を身に付けていたに違いない。

アップル社に続いて第4位から第2位に浮上したグーグル社(Google)、第5位を守っているマイクロソフト社(Microsoft)、第8位と第9位を分け合っているサムサング社(Samsung)インテル社(Intel)、などが良い例で特筆に値する。例外として、IBMは、純粋にハイテクの分野でなく、経営サービスの分野に移行したため、第4位に下がった。トップ10位の内6位もがハイテク企業で占められていることは見逃せない。(下の図表を参照)


「アップル社、グーグル社、サムサング社、の製品を見てごらんなさい。彼らが作り出した製品は、文字通り我々の生活習慣を根本的に変えてしまいました」とフラムプトンは結ぶ。10位以外のランクを展望してみると、昨年、第69位だったフェイスブック(Facebook)が第52位に躍進している。一方、スマートフォンでは抜群だったブラックベリー(BlackBerry)は、2年前第56位だったのが第93位に転落してしまった。100位内では最悪の転落ぶりだ。

自動車の分野ではトヨタ自動車が第10位を確保しているが、他の自動車会社からは、GMのシヴォレー(Chevrolet)が第89位に入っているだけに過ぎない。

栄枯盛衰は、いずれの分野でも世の習いであるようだ。

投稿のお薦め:神無月


ロビン・フッドの杜、10月の霧

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