2013年9月14日土曜日

味覚の秋、味覚の話

味覚の話

志知 均(しち ひとし)
2013年9月

JAL Pakのカタログから、松茸の香りと味覚
まだ残暑は続くが暦は九月。草むらにすだく虫の音も一段と高くなったようで夏の終わりを実感する。実りの秋も近くなり食卓にあふれる季節の味を満喫するのが楽しみである。その楽しみに大きな役割を果たしているのが『味覚』なのだが、味覚はおいしいものを楽しむためだけにあると思うのは実はとんでもない誤解なのだ。味覚細胞(taste buds)は食べものの味を感じさせてくれるだけでなく、われわれの体を守る役割をしてくれている。この小文でそれについて少し説明してみたい。

(左から)甘味、旨味、苦味、塩味
まず、味覚について判っていることを簡単に述べる。食べものの味は舌や口蓋や喉の表面にある味覚細胞の受容器を通して感じるが、視覚、聴覚など他の感覚に比べてまだ判らないことが多い。たとえば日本食特有の味として登場した『旨味(うまみ)』が塩味(しおあじ)、甘味(あまみ)、苦味(にがみ)、酸味(さんみ)など、従来よく知られている味とは異なる味と認められたのは2000年代である。日本語でも「うまい」と「あまい」は長い間同じ意味で使われてきたから、味覚研究者の間に混乱があったのも致し方ない。脂肪の多い霜降り肉のステーキや、トロの刺身の旨さ(うまさ)(あぶら)の味のせいだが、『あぶら味』に対する味覚受容体は存在するようだがまだ確認されていない。

味を認識するメカニズムについて述べると、『塩味』は、味覚細胞の表面にあるナトリウム・チャンネル(流入孔)で、『酸味』はプロトン・チャンネルで捕え、神経束を経て情報が大脳へ送られる。『甘味』、『旨味』、『苦味』はそれぞれ異なる味覚受容器を介して捕えられる。それぞれの味物質を結合した受容器は細胞内へのナトリウム流入を増加し、その結果、ATP(通常はエネルギー源として働くが、この場合は神経伝達物質として働く)を細胞外へ放出し、近くにある神経細胞束を刺激して情報を大脳へ送る。最終的に味覚を成立させるのは大脳である。

味覚は生存に必要な栄養素を感知するために進化と共に発達した感覚である。舌に心地よい『甘味』はエネルギー源となる(炭水化物)を感知するためであるし、『旨味』はタンパク質を作るためのアミノ酸(MSGはその一つ)を、『塩味』はナトリウムやカルシウムなどの無機塩類の存在を知るためである。『苦味』は栄養素よりも毒素を感知する味覚でこれについては後述する。

舌の役割
上に述べたように味覚は舌や喉にある味覚受容細胞を通して感知するが、驚いたことにこれらの味覚細胞は胃や腸の中にも、また肺へ空気を送る気道などにも存在することが最近の研究から判ってきた。ただし大脳へ味情報として伝えないので、消化系や気道を通して『』を感じることはない。では何のために存在するのか?ひと言でいえば身体を守るためである。

例をあげよう。腸管に入った食べものを消化してできるグルコース(glucose)が『甘味受容器』をもつ腸細胞(enteroendocrine cellと呼ばれる)に結合すると、受容器は細胞表面近くにグルコース運搬分子を集め、細胞内へのグルコースの取り込みを促進する。また同時にグルカゴン類似のホルモンを放出して、膵臓からのインシュリン分泌を促す。こうして消化のホメオスタシスが保たれる。もうひとつ例をあげよう。苦味成分を含む食べものの一部が気道に入ると、それを結合した『苦味受容器』は肺表面にある鞭毛細胞を刺激して鞭毛運動を高めるので、咳や喉つまりを惹き起こす。苦いものが口に入ると吐き出すように、『苦味受容器』は体内でも有毒物質に対する警報を発する。たとえば腸の苦味受容器が、苦味物資を感知すると、それが吸収されないよう下痢を惹き起こしたりする(一種の食中毒症状)

味覚を知る細胞『味蕾(みらい)』
一般に『苦味』や『塩味』は『甘味』や『旨味』に比べて喜ばれない。しかし進化の過程で生存のためにはこちらのほうが重要だったかもしれない。ヒトも動物も(ツチ)、特に粘土性のツチを長年食べてきた(geophagiaと呼ばれる)。アフリカの高地に住むゴリラは、大気の酸素濃度が低いので、増血のため鉄分の多いツチを食べるし、象、チンパンジー、蝙蝠(コウモリ)などは粘土を食べてナトリウムを補う、精神病医はヒトがツチを食べるのは、一種の異食症(pica)だというが、必ずしもそうではなく、無機栄養素(カルシウム、ナトリウム、鉄など)や、『解毒剤(げどくざい)』を摂取する為の正常行為の場合もある。


味蕾の拡大
アメリカン・インデアンはドングリや馬鈴薯料理の『酸味(さんみ)』や『渋味(しぶみ)』を和らげるために、少量の粘土を入れるそうだが、これは解毒も兼ねている。アフリカやアメリカ南部の黒人女性が妊娠のつわりを軽くするため粘土を食べることが知られている。粘土には食べものの中の毒成分を解毒するだけでなく、大腸菌やコレラ菌などから胎児を守る効果があるという。消化系疾患でツチを食べさせることは、実は近代医学でもやっている。例えば、われわれは粘土に含まれるカオリン(kaolin)に注目して開発されたカオペクテート(kaopectate)や、合成品のビスマス/サルチル酸(Pepto-Bismolの主成分)を下痢や消化不良の時に服用する。

味覚の話なのでおいしい話を期待された方々は最後はツチを食べる話になったのでがっかりされたかもしれない。(しかし『うまい話』は怪しいことが多いのでは?)

東洋医学に「医食同源」という言葉がある。病気の治療も食事をとるのも健康を保つためのもので根源は同じ、という意味である。ある人にとって料理が薄味であってもほかの人には味が濃いことがあるように味の感じ方は人によって異なる。つまり味覚はかなり主観的な感覚である。

「医食同源」が意味する健康を保つための食べ方とは、味覚の誘惑に負けない食べ方ではないだろうか? そんなことを心に留めて「食欲の秋」を満喫されたい。








1 件のコメント:

  1. 味覚を大切にして、食べ物をおいしくいただきましょう。

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