昭和12年7月7日、七夕(たなばた)祭りの日、中国北京(ペキン:北平ペイピン)の西南10キロの地点にある盧溝橋(ろこうきょう)で「銃声一発」、発砲事件(発砲者は未だに不明)がきっかけで日支事変(日華事変;日中事変)が起こり、それが急速に拡大し、日本軍は中国に侵略した。
昭和16年12月8日には日本海軍の真珠湾攻撃で日米戦争が勃発し、南太平洋の島々に駐屯していた日本軍は次々と敗れ、アメリカ軍は硫黄島、沖縄に侵攻、窮地に陥った日本軍部の指導者は『本土決戦』作戦に固執していた。彼らは、ポツダム宣言による連合軍の『降伏勧告』を無視したため、2発の原爆を広島、長崎に落とされた。その挙げ句、『日ソ中立条約』を反古にしたソ連から宣戦を布告され、ついに天皇は降伏を決意し、昭和20年8月15日、全国民に通告した。実に8年に亘る悪夢のような日本破滅の歴史であった。
戦後、ダグラス・マッカーサー元帥が統率する占領軍により、数々の改革が実施されたが、中でも最も重要な改革は日本の新憲法の設定であろう。その骨子は『日本は永久に戦争を放棄する』平和国家を謳った一条である。それを守り抜き、戦後69年間に亘り、日本は戦争に関わりのない『平和国家』と経済繁栄を享受してきた。
その『永久に平和な日本』が、今日阿部内閣によって破壊されようとし、加えて『集団的自衛権』なる疑わしい『権利』を主張し、軍国日本の復活を企てている。上記、太平洋戦争の惨禍が繰り返される危険を感じないではいられない。永遠の平和を守るため、どんなことがあっても阿部首相の陰謀は阻止されねばなるまい。編集:高橋 経
ーーーーーーーーーー 参考記事 ーーーーーーーーーーーーー
朝日新聞、天声人語 2014年5月16日
2冊の中学公民教科書を比べると、違いがあって興味深い。この2冊をめぐり、沖縄県竹富町と国の対立が続く▼文科省は町に、近隣2市町と同じものを使うよう求めている。その育鵬(いくほう)社版は憲法改正に2ページを割く。時代の変化に応じて変える部分と時代を超えて守る部分を、国民が区別すべし、と説く。集団的自衛権にも何度か触れ、行使できないという政府解釈を変えるべきだとの主張もある、と紹介する▼竹富町が使う東京書籍版は、改憲について手続きの図を載せるにとどめ、育鵬社版のような集団的自衛権の記述も見当たらない。一方で「立憲主義」について項目を立て、政府の権力を制限して国民の人権を保障する思想と、丁寧に説明している▼それぞれの主張を生徒に押しつける書きぶりではないものの、個性の違いは明らかだ。文科省が挙げる理由は教科書採択の手続き面だが、地元が「政治介入」と反発するのも無理はない▼きのう、沖縄は本土復帰から42年を迎えた。「平和憲法の下へ」の叫びが実った日だ。しかし、米軍基地の集中という負担の押しつけはいまだ変わらず、県民の声は届かない。今回の教科書問題にも、国の同じような高姿勢が感じられる▼折も折、安倍首相が解釈改憲に踏みだした。最高法規の縛りを勝手に読み替えて解き放てるなら、立憲主義はすたれる。国民の命を守るためだというが、集団的自衛権が使えるとなれば、真っ先に危険にさらされるのは最前線にいる沖縄の人々ではないか。
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余録:毎日新聞 2014年05月16日
戦前の陸軍参謀本部には「統帥参考(とうすいさんこう)」という秘密文書があった。そこには「統帥権ノ本質ハ力ニシテ、其(その)作用ハ超法的ナリ」とあった。つまり軍の統帥にかかわる権力は、あらゆる法、もちろん憲法をも超越しているというのである▲司馬遼太郎(しば・りょうたろう)の『この国のかたち』での指摘である。この文書は参謀総長には憲法上の責任はないとうたい、軍は軍事上必要ならば直接に国民を統治できるとも記している。つまりは憲法がうたう天皇の統治権を停止する権能も軍がもつとひそかに取り決めていたのだ▲軍事上の必要にもとづく権能が憲法を超越していると考えた集団が国を滅亡に導いた歴史は改めてたどるまでもない。だが安全保障上の必要が憲法論で害されてはならないという筋の話、最近もどこかで聞かなかったか。そう、きのうの安保法制懇の報告である▲従来の政府解釈が禁じていた集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更を安倍晋三(あべ・しんぞう)首相に求めた同報告だった。中国の軍拡など東アジアの安全保障環境が変化するなか、憲法論が安保政策の硬直化を招くことがあってはならないとして解釈の転換を求めたのである▲聞けばこの法制懇、集団的自衛権行使を支持するメンバーばかりで、憲法学者も1人だけだ。むろん憲法上の権能もない。それが安保上の必要という一方的な判断を掲げ、時の政府の憲法解釈変更を正当化できるなら、そもそも憲法という政府への縛りが意味を失う▲力がものをいう軍事で、力を縛る規範が邪魔にされるのは戦前の例が示す通りだ。そのワナへ踏み込まぬ冷静な安保-憲法論議に戦後の経験の蓄積が試される。
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毎日新聞 2014年05月29日付けの記事から抜粋
集団的自衛権を巡る国会集中審議が始まった28日、憲法解釈変更による行使容認に批判的な内閣法制局長官経験者や憲法学者らが、安保法制を考える懇談会を発足させた。行使容認に前のめりの安倍晋三首相に対し、メンバーで改憲派の憲法学者、小林節、慶応大名誉教授は「憲法をハイジャックするもの」、孫崎享、元外務省国際情報局長は「米軍の傭兵(ようへい)のような状態になる」と批判した。【野島康祐、本多健】
メンバーは両氏のほか、内閣法制局長官を務めた阪田雅裕、大森政輔両氏、第1次安倍政権で官房副長官補を務めた柳沢協二氏ら12人で、一部が参院議員会館で記者会見した。安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)に対抗し、会を「国民安保法制懇」と命名。今年夏にも報告書をまとめる。
安倍首相は午前中の集中審議で、戦争に巻き込まれるとの懸念に対し「実際に武力行使するかは高度な政治的決断だ」と釈明した。この発言に対し、小林氏は「法的規制がないに等しい。『おれに任せろ』ということか」と批判した。元長官の大森氏は「首相の判断の誤りを防ぐ人たちが内閣に集まっているとは思えない」と突き放し、首相の諮問機関「安保法制懇」の報告書について、「結論ありきで、まさに牽強(けんきょう)付会。理由づけも実にひどい」と酷評した。
元長官で大森氏の後輩の阪田氏は、「集団的自衛権を巡り、全員の意見が一致しているわけではない。だが、日本の形を変える大きな問題であり、行使するには十分な国民的議論が必要で、憲法改正を経て国民に覚悟を求めなければならない、という点で全員が一致した」と、設立経緯を説明した。
会には、緊迫した海外の安全保障の現場で実務経験を積んだ専門家も参加している。
過去にイラク大使館に勤務した孫崎氏は、政府が集団的自衛権行使容認や法整備が必要とする15の具体例について、「他の対応で可能なものばかり。自分の経験から見ても、あえて集団的自衛権の検討を急ぐ緊急性がない」と一蹴した。
15の具体例には、国連平和維持活動(PKO)に参加する民間人や他国の兵士を自衛隊が武器で救援する「駆け付け警護」も含まれている。これについて、国連職員として紛争地で武装解除の経験を持つ伊勢崎賢治、東京外国語大教授は、「PKO現場の緊急課題は避難民を殺害や暴行からどう守るか。そんな時代に、『日本人を守るため』という議論自体が不謹慎だ」と不快感をあらわにした。