2014年4月3日木曜日

投稿のおすすめ:卯月

早春:ミシガン州中北部高地から(本日、4月2日撮影)
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発行編集責任者:高橋 経

2014年3月25日火曜日

動物すべてが陥る幻影

ローラと、ジェニファー・ケリー(Laura Kelley + Jennifer Kelley)の論文から抜粋
2014年3月23日




上図は、見方によって「右を向いているウサギ」「左を向いているアヒル」かに思える。こんな些細な『だまし絵』のような視覚上、幻影または錯覚を起こすことを考えると、人間の知覚が、その『認識』と『事実』との間に明らかな相違があることを思い知らされる。こうした幻覚の知識は、人間研究の上で限られていた。

その様子が最近変わってきた。人間以外の動物でも、同様な錯覚を起こすことがある、ということが判ってきたのである。そうした違った機能をもつ脳の反応を分析することで、視覚上の認識の進化を解明できるかも知れない。

上下を区切る5本の線は、完全に水平、同間隔の平行線である。
神経系統や心理学の専門家たちにとって、幻覚反応は視覚上の認識の仕方を分析したり、その心理的な再構成できるだけでなく、人間の知覚上の束縛を明るみに曝し出すことができた。そして人間が『何か』を見た時の知覚が、その大きさ、動き、色、彩度、明度、立体度、その他に影響され、何百通りもの違った反応を起こすのである。

古代ギリシャの遺跡、パルテノン神殿。円柱に注目。

美術家、建築家、デザイナーたちは、過去何世紀にもわたって、幻影を創作し、人間の知覚を歪めてきた。その一般的な技法は、『大きさ』、『長さ』、『距離』を錯覚させることが主流だった。一例が、古代ギリシャ建築の円柱は先細にすることで、地上から見上げると実際より高く見えたことである。こうした幻影は、『遠近法の意図的錯覚(forced perspective)』と呼ばれ、装飾的な庭園や舞台装置のデザインにも多く応用され、実際より大きく広く感じさせるよう計画された。


色彩の不変性(color constancy)』と言われる知覚は、色タイルの幻覚で証明できる。上図の六面体の上の面は光に照らされ明るく、左側面は影で暗い。上の面の真ん中にある★印しがついたタイルは茶色に見え、左側面の真ん中にある★印しがついたタイルはオレンジ色に見える。実際は、いずれも同じ色なのだが、見る人の脳が、『明暗』という知覚で無意識に色彩を調整し、違った色と錯覚するのである。

『大きさ』の錯覚は、人間を含む動物全ての本能であるようだ。

(めす)のカニは、ハサミの大きい雄(おす)に惹かれるようだ。それを心得ている雄は、自分のハサミより小さいハサミを持っているカニを左右に侍らせることによって自分のモノを大きく見せかけ、雌の関心を引き寄せる。

左の中央にある円と、右の中央にある円は同じ大きさである。
こうした幻影効果を『エビングハウス幻影(Ebbinghaus illusion上図)』と称し、それを心得た人間の男性は、自分より見劣りする男たちを周りに集めて自分を目立たせ、女性の関心を惹こうとする本能がある。

19世紀の心理学者、ジョナサン・パァキンジェ(Jonathan Purkinje)は、「感覚を欺くことは、知覚の真理である」と言った。


上のビデオは、『立体感』の錯覚幻影を種明かしして見せる。


過去50年の間、科学者たちは動物の感覚と、我々人間の感覚には、大きな相違があることを認識してきた。視覚上の幻影は、動物が環境に対応する知覚的な予測を判断するためには欠かせない機能である

2014年3月19日水曜日

福島原発:絶望的な汚染水の処理

はじめに:東日本大震災以来、3年余り経過したが、福島第一の原発が破壊され洩れ続けている放射能汚染水の処理が未だに解決のメドさえ立っていない。この汚染水が太平洋を渡ってアメリカの西沿岸に到達するとなると、この問題は日本だけの問題ではなくなってきている。
阿部首相は、「汚染水の処理は順調に進んでいる」と大見得を切ってオリンピック招待に成功したが、果たして阿部政権が汚染水処理と真剣に取り組んでいるのかは疑わしい。その実体は背筋が寒くなるようなお粗末なものであるという実体がニューヨーク・タイムズ紙で公表された。阿部政権の真価を問う次第。編集:高橋 経 (日本人名やその言葉が英訳されたものから重訳しているため、原文と多少の差異がある可能性がありますが、ご容赦ください。)
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「原発での人的作業は危機に陥っている。我々は膨大な作業を僅かな予算で達成するよう強いられている。まるで消防団員が燃え盛っている火を消すため懸命になっている時に、水を節約しろと言われているようなものだ。」
福島原発、汚染水処理に当たる契約作業員、ナカ・ユキテルの嘆きから:

福島原発、汚染水処理に当たる未経験作業員と不十分な予算

ヒロコ・タブチ報告
3月16日付け、ニューヨーク・タイムズ紙より抜粋

『仕事がない?家がない?行く所がない?食べられない?それなら福島へいらっしゃい』というオンライン広告が出た。
チャーター・バスで福島第一に向かう作業員たち。撮影:ケンタロー・タカハシ
破壊された福島第一原発の復旧処理をする作業のため、僅かな予算で作業員を集めるのは容易ではない。それに作業には放射能の危険すら伴っている。
同原発は東京電力(以下『東電』)の一部だが、同社は複雑で困難な復旧処理の責任を回避し、外部の業者に委ねている。業者はおおむね経営が粗雑で、未経験で訓練もされていない作業員を頭数だけ集め、危険な作業に当たらせている。そうした一方で、東電は予算や人的主力を、柏崎など他の原発の再活動に向けて注いでいる。それは、政府の圧力でもあり、原子力規制委員会の一部委員から批判されてもいる。
こうした東電の経営方針は、福島原発の事故処理を後回しにすることになり、その予算は削られ、単発的に出され、技術者が引き抜かれる、という結果を生んだ。残されたのは、その場しのぎの口入れ屋が集めた特殊技術のない切羽詰まった求職者たちが殆どである。警察とか労働問題の行動派の人達に言わせると、口入れ屋は暴力団との繋がりをもっているとのことだ。
関係者20人以上にインタビューしたところ、機能的でない作業状況が、膨大な汚染水洩れや、環境悪化など他の欠陥を生じさせた主な原因だど見ている。またある状況下では、作業員に危険な仕事をさせている。あるエキスパートは、最悪の場合、作業員の過失で他の放射線の漏洩をひき起こすことを恐れている。

ナカ・ユキテル氏
元ゼネラル・エレクトリック社(General Electric)の技術者だった東北エンタープライズのナカ・ユキテル氏は、「原発での人的作業は危機に陥っている。我々は膨大な作業を僅かな予算で達成するよう強いられている。まるで消防団員が燃え盛っている火を消すため懸命になっている時に、水を節約しろと言われているようなものだ」(上掲)と嘆く。

それが証拠に、昨年10月のある未明、契約作業員の一人が、原発の浄化システムのホースとヴァルブの交換を命じられた。東電の規制ファイリングによると、作業チームはたった20分の説明指導を上司から受け、システム図もなく、安全工程の段階も踏まず、交換作業を遂行した。最低だったのは、交換の際、古いホースには放射性のセシウム値が高い水が充満していたことを知らなかったことである。その間の経緯はご想像に任せるが、結果として数人が汚染水に手が浸かりパニックとなり、他の二人が救助を求めに走った。

汚染水に冒された作業員たちは、不幸中の幸い、汚染と健康に関する専門家ナカチ・シゲハル氏は、放射線による疾患の恐れはなかった、としながらも、こうした危険は、どんなことがあっても避けるべきだと強調した。

東電は作業員の経験歴についての質問に対する回答は避けた。だが、規制ファイリングによると、上記の汚染水漏れ事件では、契約会社が作業員雇用し同意書に署名したのは事故の僅か1週間前だった。東電はこの法律違反かも知れない契約状況についても回答を避けた。こうした粗雑な契約状況は、一般的に原発の雇用習慣になっているようだ。上記の事実を確認するための質問状に対し、東電から書状で、「当社は雇用慣習について、何も言う立場ではない」という回答を受けた。

(中略)

福島第一の記録によると、受け入れた契約作業員は、東電社員と比べて2倍の放射能を受けている。レイヤー・システムにより東電側の露出度を少なくしているとは、大方の見解でもある。

ウエチ・ヨシタツ氏
「欠陥について私は何度も警告したけど、誰も耳を貸さなかった」と、ウエチ・ヨシタツ氏は原発施設の安全性について嘆く。彼は子供を4人抱える沖縄出身の父親で、福島で働くことで収入があり家族を養うことができるようになった。しかし彼は、東電の幹部社員は滅多に福島へ来ないが、上司には欠陥への憂慮を告げ、機会さえあれば東電の幹部にも話した」と言っていた。こうした不満に関して東電側に問い質したが、「プライバシーに抵触するので、作業員個人の問題に触れることはできない」と回答を避けた。

また東電は、危険を伴う不安定な作業条件や報酬は改善すると約束した。だが、未だに原発の近くにある宿舎で食事をしている作業員たちは、その公約には至って懐疑的だ。

40歳代の作業員の一人は、「何段階もの契約会社があり、それぞれがピンハネをしているので私達の報酬は残り少なくなります」とこぼす。彼と他の二人が簡素な食事をしながら、ビールやウイスキーを呑んでいた。ベッドと机だけの小さな部屋に寝泊まりし、その合宿所の周囲は災害の跡地で誰も住んでいない。いずれも解雇されるのを怖れて名前を明かさなかった。

作業員達は夜になるとテレビを観る以外、特にすることもなく、小さなゲーム・センターで遊ぶとか、酒を呑むしかない。習慣性アルコール中毒で酩酊も稀でなく、彼らが二日酔いで作業に出ることもしばしばある。

柏崎原発の4千5百人に対し、約3千人の作業員の頭数を維持させるため、口入れ契約会社は躍起になっている。日雇いや宿無しがたむろしている都会付近では労働関係の行動派に妨げられるので、冒頭に示したようなオンライン求人で人集めをし、低賃金を謳っている。

ある求人広告では、仕事が放射能に関わることにも触れ、『常識があり社交性があること』も条件にしている。

雇用者としては、作業員の前歴が浮浪者だったかどうかは判らないが、多くの人が切羽詰まった生活をしていたことは察している。岩城近くの市役所顧問の一人、ワタナベ・ヒロユキ氏は、「我々は『その日暮らし』の生活をしている人達と応対しているのです」と言う。

一人の作業員は姓名を明かさず、失業して不安定な生活の挙げ句宿無しになってしまった事情を話し、今は仲間の汚染した長靴を洗っていた。他の一人は同様に失業し住居を失い、女友達と仲違いし、今は原発リアクターのひびや割れ目を調べる役に就いている。

職業仲介業者が言うには、その男は高橋建設という会社の下で働いていた。彼の信頼性までは調べていない。彼は、リアクターの異常を調べているが、そのひびとか割れ目によって生じる危険さについては全く教えられていなかった。給料が遅配になり、残業代を拒否されたので彼は離職した。後日、労働基準監督署の助けを得て、遅配の給料は勝ち取った、とのことだ。

その頃には高橋建設は消滅し、空っぽになったオフィスにはビールの空き缶や読み捨てたマンガ本などが散らかっていた。仲介業者は契約会社から仲介料を受け取った。だが、高橋建設の名は同地の事業登録に記載されていなかった。電話を掛けたがベルが鳴るだけで何の応答もなかった。

福島での他の契約会社によると、高橋建設は、日本で最大の組織暴力団、稲川会の地方支部と関連していたようだ。作業員、契約会社、法律家、たちは口を揃えて原発の労働力供給にヤクザが関わっていることを証言している。少なくとも、ある契約会社は、福島での労働力供給で労働基準法に違反した廉で検挙され有罪になった事実があり、これでヤクザの関わり合いを証明した。


東電は、誰がどうやって福島第一の復旧作業をしているか、全く無関心を装っているようです」とは、前記、一作業員の遅配給料を勝ち取ってくれた労働基準監督署のカツラ・タケシ氏の言である。

2014年3月14日金曜日

外人が感じた日本名の妙

マーク・シュライバー(Mark Schreiber)
2014年2月28日付け、ジャパン・タイムズ紙から


幸運の車輪:トヨタ自動車製、長期ベストセラーだった1957年型コロナ

以前私が、国際的な大手ハイテク企業の広報部門に電話をかけた時は幸運だった。こちらから聞いたわけではなかったが、電話を受けた若い女性職員は、自発的に「私は青木と申します」と応答してくれた。彼女は名前を発音する時、「ア、オ、キ」と、シラブルを明瞭に分割してくれ、音楽的な響きがあった。

そのアオキさんは、多分目の前にいない私の日本語からガイジン訛りを聞き取ったのであろう、親切に丁寧にゆっくり発音してくれたに違いない。ということから、私はとっさに彼女が巧みな対話の経験者であると察知し、続く会話からそのことを確認した。彼女は丁重に、「お名前はなんとおっしゃいますか」と、予想できない答えを促した。というのは、一説によると、日本の名字(苗字)は30万種ほどあり、バラエティの富んでいるからである。

これは驚異的な数字である。中国は日本に比べて10倍の人口がありながら名字は5千6百種程度に止まるのみならず、その大半70%の名字は45種に過ぎない。

最近、名字の話題について週刊ポストの1月17日号に興味深い記事が発表されていた。その『名字の秘密』と題する16ページに及ぶ報告によると、『秘密』らしいことは殆ど無かったが、私の興味を惹いたのは、日本人の名字は8種の要素を起源としている、という概念であった。

第一は[地名]、例えば『山口』、『宮崎』の類い。第二は[地形や土地の様子]、例えば『山本』、『寺田』、『高橋』の類い。第三は[方位や方角]、例えば『西川』、『坂下』、『辰巳(たつみ)』、『巽(たつみ)』の類い。第四は[職業]、例えば『服部』の類い。第五は[藤の付く姓]、例えば『藤原』、『遠藤』、『伊藤』、『佐藤』の類い。第六は[封建時代の家系に縁のある姓]、例えば、『松平』、『浅野』、『島津』の類い。第七は[僧籍に関連した姓]、例えば『釈(しゃく)』、『即真(つくま)』、『無着(むちゃく)』の類い。そして第八は[その他]、と分類されていた。

週刊ポストでは、私が常日頃気になっていたことに触れていた。その一つは、なぜ自動車メーカーの名門『とよだ』一族が、社名を『トヨタ』に変更したかが疑問だった。主な理由として挙げられるのは、字画による判断だそうだ。そのロゴが英語だったら『Toyoda』と『Toyota』では同じ6文字だが、日本語では『トヨダ』が10画なのに対して『トヨタ』だと濁点がないので8画で済む。それに『8』という数字は繁栄を意味するので好ましい、とのことだ。

一方、日本で最も多い上位5種の名字、佐藤、鈴木、高橋、田中、渡辺、について余り論議されていないようだ。従って、国勢調査でも公式な名字ランキングは付けていない。最近一般的に普及している携帯電話、さらに個人の電話帳記載などに効果的な一括記載が考えられるが、採用されていない。

さらに問題を複雑化させているのは、同じ名字が同じではない事実である。一例が、―― 滝沢、滝澤、瀧沢、瀧澤 ―― の名字例である。いずれも『たきざわ』と発音するが、『』と『』、『』と『』が二種類ずつあるため、4種類の名字が発生してしまった。


また、例えば『小原』という名字は、『おはら』、『おばら』、『こはら』、『こばら』、など、個人によって発音が違うという不都合まで生じている。

2014年3月2日日曜日

インドの彫刻から

ニューヨーク市、メトロポリタン美術館(The Metropolitan Museum of Art)に展示されている、インドの彫刻を一部ご紹介いたします。同美術館には膨大な所蔵がありますから、機会があったら是非ご観賞をお薦めいたします。-----編集-----



身づくろいする女神(Preening Celestial Deity)
11〜12世紀頃の作品。高さ66センチ。
1984年、ロジャー・ストールご夫妻(Dr. and Mrs. Roger Stoll)の寄贈。



森の精ドリュアス(ギリシャ神話から:Shalabhanjika)
12〜13世紀頃の作品。高さ1メートル8センチ。
1965年、ロジャース財団(Rogers Fund)からの寄贈。



笛を吹くクリシュナ(Krishna)
17〜18世紀頃の作品。高さ11.4センチ。
1948年、ケィト・リード・ブラック(Kate Read Blacque)の遺産。



相愛の男女(Mithuna)
13世紀頃の作品。高さ1メートル83センチ。
1970年、フロランス・ウォーターバリィ(Florance Waterbury)の遺産から購入。

投稿のおすすめ:弥生


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2014年2月26日水曜日

オリンピックの意義とは

オリンピック「日本代表選手」の気概を称える
北村隆司(きたむら・りゅうじ)
2014年2月24日


多くのドラマと感動を残した2014年ソチ、オリンピック(Sochi Olympic)も終った。これからパラリンピック(Paralympic)の開幕だが、先ずは日本を背負って活躍した選手に感謝の言葉を贈りたい。

JOCがある岸記念体育館
ソチ、オリンピックは競技以外にも多くの話題を呼んだが、竹田恒泰(たけだ・つねやす、JOCの竹田恒和[つねかず]会長の子息) (1)メダルは噛むな。品がない上に、メダルを屈辱することになる。(2)国歌『君が代』は聴くのではなく歌え。国歌も歌えないのは国際人として恥ずかしい。(3)日本には国歌斉唱時に胸に手を当てる文化はない。直立不動で歌うこと。(4)負けたのにヘラヘラと『楽しかった』はあり得ない」と言う『つぶやき』もその一つであった。

これに対しOlympic代表選手だからといって、日本を背負う必要はない」 http://blogos.com/article/79976/ と言うブログ記事を書いて反論した町村泰貴(まちむら・やすたか)北大教授「害悪を撒き散らす言論」とまで竹田発言を非難している。
(1)選手に「日の丸を背負った」だの、「国の代表」だのと押しつけるな。
(2)「メダルは噛むな」負けたのに「ヘラヘラと楽しむな」等の注文は余計なお世話だ。
(3)こんな雑音を気にして、選手が五輪を楽しめなかったら台無しだ。
(4)敗北を喫しても、楽しめたからよかったとニコニコ笑って全く問題ない。

この町村教授のブログ記事はネットで大きな反響を呼び、「いいね」9,200件以上にのぼり「よく言って下さいました。もっともっと言ってやって下さい」などと賛同の声が相次いだと言う。

その主張が保守と言うより「前世紀の遺物」と言った方が相応しい事が多い竹田発言が、「国歌斉唱」とか「直立不動」等と言えば、町村教授が「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」に襲われる事は理解できないことはないが、今回の竹田発言の主張は当たり前の事を言ったに過ぎない。現に、NBCが全米で放映した各種競技のメダル授与式を見ても、殆ど全ての選手が竹田発言で求めていた4条件を守っているだけでなく、インタビューを受けた選手は勝敗や国籍に関係なく、口を揃えて「祖国を代表できた名誉と幸運」を誇らしげに語っていた。

驚いたのは、オリンピック開催寸前まで、90%以上が無精髭のままでプレーしていたNHL(北米プロ・アイスホッケー・リーグ)の選手たちが、出身国の代表としてプレーする時点では、殆どが髭を剃り落としていた事だ。でも『全員』でなかったところを見ると、上からの強制されたのではなく自発的に髭を剃って祖国へ敬意を表したのに違いない。

オリンピックについて色々な意見が出ることは良い事だと思うが、町村教授の反論とそれを支持するネットの反応を見ると、『一部日本の常識が、世界の非常識』になりつつある事を実感する。色々文句はあっても私が誇ることに変わりない日本が、町村教授には『祖国を代表する事』が負担に思えるほど恥ずかしい行為なのだろうか?

町村教授が極端に嫌う『代表』だが、我々は無意識のうちに「自分自身」、「家族」、「会社」、「故郷」、「国」など常に何らかを代表して生活しており、それが国の伝統、文化、世相を作り上げて来たのだ。

2008年に起きた四川大地震で、日本から派遣された60人の救援隊が一人の生存者も発見出来ず落胆して帰国したのに対し、中国人母子の遺体収容に当たった救援隊員が直立不動の姿勢で遺体に敬礼する映像が流れると、中国全土で日本への賞賛と感謝の嵐が起こったが、これも救援隊員の行動が日本を代表していると思われたからである。下掲の動画をクリックして見て頂けば、万言を費やすまでもなくその誠意溢れる純粋な行動の持つ感動が強く伝わってくる。


東日本大震災で世界から賞賛を浴びた一般日本人の態度や行動も、海外から見れば日本を代表していると映るのは当然で、その場に居なかった私まで、日本人として誇りに思い、賞賛の恩恵に浴した。

町村教授が何と言おうとも、日本のユニフォームを着てオリンピックに出場する選手を世界が日本代表と見るのは当然で、選手がそれを自覚する事は負担ではなく、誇りとすべきである。

又、「選手が勝利にこだわり、オリンピックを楽しめなかったら台無しだ」とと言う反論にも賛成できない。(編者加筆:負けたら悔しいと思い、次の機会に取り戻そうという気概が大切で、楽しむことはお預けに。)

今のオリンピック運動を「参加する事に意義あり」と言ったクーベルタン男爵(Baron, Pierre de Coubertin)時代のアマチュアの祭典だと思っているとしたら、とんでもない勘違いで、今や勝敗を争ってこそのプロの一大祭典である。「より速く、より高く、より強く」を目標とするオリンピック競技は、順位を付けないと聞く日本の小学校の運動会と違い、選手の究極の目的は勝利にあり、その結果は名誉以上に選手の経済的将来に大きな影響を与える。

極貧国ジャマイカ出身、短距離走者のフセイン・ボルト(Usain Bolt:右の写真)は、オリンピックでの優勝を機にプーマ社(Puma)からの年間9億円強のスポンサー料を筆頭に、毎年巨額の収入を得るようになり、現役生活を続けながら20億円を超える純資産を活用して故国の各地に陸上競技の練習場を整備するなど、自分の幸運を社会に還元しているのもその一例だ。

アメリカンフットボールの伝説的な名コーチで偉大な教育者でもあったヴィンス・ロンバルデイ(Vince Lombardi:左の写真)は、数々の名言を通じて『負けじ魂』が人生の上で重要であることをを説いたが、その一つに努力をすればするほど勝利を獲得したくなくなるのが当たり前で、簡単に敗北を受け入れる人間には勝利は訪れない。勝利が全てでないと言うなら、スコアーをつける意味がないと断言している。

手段を問わぬ「勝利至上主義」は排斥すべきだが、オリンピック選手は国単位で選抜される以上、『』と『選手』は切っても切れない相互責任の関係で結ばれており、「国を代表するなどと言う下らぬ負担は忘れ、勝負にこだわらずオリンピックを楽しめ」と言う町村教授の『結果責任無用論』は通じない。この様な『戯言(ざれごと、たわむれごと)』が賛同されるのは、教授が属する日本の国立大学くらいなものであろう。

と言うのは、自らの結果責任を背負いながら身分保証もなしに競技に励む選手と異なり、日本の国立大学は、経常運営費の大半を国家財政に依存しながら、いったん配分された経費の使途については教育研究の水準や内容の如何にか拘らず、公権力の干渉も受けず、究極の『出資者』である納税者に対する説明責任も果たさずに教授の身分だけが保証される『無責任天国』だからである。

オリンピック選手の究極の目的が『勝利』であっても、それが全てではなく、誠実な態度と最後まで諦めない気概も求められる。

メダルを逃した浅田真央選手の場合、演技を終えた直後から全世界、特に現在日本と厳しい関係にある中国からまでもあきらめない五輪精神を示した」、「表彰台に上れなくても、あなたの精神に敬服しますなどの最高の賛辞が多数寄せられたと聞く。仮に浅田選手町村教授の反論に従い、ヘラヘラ笑いながら「勝てなかったけど、のびのびとソチ五輪に参加できて楽しかった」と言ったとしたら、この様な感動の嵐は起きなかったに違いない。



「結果を伴わない努力を、無駄と言う」と言ったのはチャーチル(Winston Churchill)だが、メダルに加えて「国を背負う」誇りと最後まで勝負を諦めない気概を持って正々堂々と闘い、世界に感動を与える結果を出した日本代表選手に勇気付けられた2014年ソチ、オリンピックであった。