高橋 経 (たかはし きょう)
2013年8月14日
デトロイト市の破産
破産の上位6都市 |
機能しない消火栓 |
廃屋の一郭 |
破産の影響に直撃されているのは警官を含む市の職員で、減俸から年金支給の不安定さ、など経済的な圧迫は死活問題である。
デトロイト市の繁栄
デトロイト市の中心部、金融企業地区 |
デトロイト市の衰退
雑草は茂るにまかせ、廃車、無数の廃屋が残っている |
同時に、UAW(United Auto Workers Union: 自動車労働者組合)の発言が圧力を持つようになり、労働者達の待遇が改善され、彼らの報酬がホワイトカラーのそれを凌ぐようになった。ビッグ・スリーがその負担を軽減するために労働組合がなく賃金の低い外国に活を求め、デトロイト市内にあった工場を閉鎖していった。これがデトロイト市の失業率を高める原因にもなった。
廃屋と茂るにまかせる雑草 |
第一次オイル・ショック
「より大きく、より強力な」自動車は「ガソリン垂れ流し(gas guzzler)」という陰口がささやかれていた。しかし「安く無限な」ガソリンを使うことに何のためらいもなかったドライバー達は、突然ガソリンが「無限ではない」という現実に直面させられた。1975年のことである。ガソリン・スタンドに車の行列が並び、時には「売り切れ」の憂き目にあうこともしばしば起こった。アメリカ大衆は、改めて燃費経済の如何に敏感になり、それまで軽蔑していたドイツ製や日本製の小型車を見直した。空きビルの前景と後方に見える市の中心部 |
こうしたビッグ・スリーの冒した失敗の原因を、自動車専門記者ブロック・イエイツ(Brock Yates)は、著書『アメリカ自動車産業の衰退と没落(The Decline & Fall of the American Automobile Industry: 1983年)』で克明に解説している。その内容全てをここでご紹介するのは無理だが、結果論だけ抄訳すると、「1950年当時、世界の自動車総販売量の79.4パーセントを供給していたアメリカ自動車は、1981年までには30パーセントに落ちてしまった」とある。
一昨年(2011年)市の職種はピークの29万6千種から2万7千種に減り、人口はピークの185万人から70万人に減ってしまった。デトロイト市の衰退が自動車産業の衰退と平行していたことは偶然でない。
デトロイト市の財産
膨大な借款を抱え死活を問われているデトロイト市だが、どっこい、まだ生きている。デトロイト美術館とロダンの『考える人』 |
- デトロイト美術館(The Detroit Institute of Art)は、数多くの優れた古今東西の美術品を所蔵しているし、現在でも訪れる観客は引きも切らない。
- デトロイト交響楽団(The Detroit Symphony Orchestra)は有数な演奏者を抱え、定期的な演奏会を開いている。
- デトロイト図書館(The Detroit Public Library)の蔵書や古文書は知識の宝庫である。
- 巨大なコボ・ホール(Cobo Hall)は、伝統的に毎年正月、国際オート・ショー(The International Auto Show)の幕開けを引き受けている。
ルネサンス・センターのビル群 - スポーツでは、野球のタイガース(The Tigers)、フットボールのライオンズ(The Lions)、ホッケーのレッド.ウイングス(Red Wings)、バスケットボールのピストンズ(The Pistons)など、いずれも強豪を誇っている。
その他、デトロイトの『廃墟』間には、輝く文化的な施設が数多く残っている。
- ヒット曲の数々を唱った黒人歌手を次々と世界に送り出したモータウン・レコード(Motown Record Co.)もデトロイト市自慢の存在であることを付け加えておこう。
デトロイト市の活路
産業復活の鍵は放棄されたビルに? |
もしそうした条件に興味を寄せる企業が数々名乗り出て実現すれば、風光明媚にして文化的、穏やかにして平和な都市デトロイトが再起し復活するにに違いない。
デトロイトに移住したのが1984年、もう30年近くなります。いつの間にかデトロイトに郷土愛を感じるようになりました。再起、復活を心から祈っています。
返信削除