2013年12月7日土曜日

ネルソン・マンデラ、哀悼と回顧

ネルソン・マンデラ
(Nelson Mandela)
1918年7月18日生まれ、2013年12月5日逝去:享年95才

NY Times紙の記事から抜粋、マンデラ回顧のアルバム


ネルソン・マンデラは1918年、アフリカの寒村で生まれた原住民。当時、南アフリカは少数の白人の統治下にあり、黒人は貧しく差別されていた。マンデラは長じて、黒人解放運動の指導者となり、1964年、危険人物と見なされ逮捕され終身禁固の判決を受けて投獄された。1990年2月、釈放され、解放運動に戻り、1994年、黒人初の大統領に選ばれた。大統領の職務は一期だけで惜しまれながら政界から引退した。近年、健康を損ない、入院、退院を繰り返していたが、去る5日、世界中の人々から悲しまれながら安らかに息を引き取った。マンデラの多事多難な生涯は、常にアフリカ黒人の為に闘争を続けた反逆者、自由解放運動家、そして清廉な政治家であった。


1952年、南アフリカで、同志と共同で初の法律事務所を開いた。

1959年、アフリカ・ナショナル議会を背負って立つマンデラ。婦人に不公平な法律に反抗した。

既成の法律に反抗する背信者として起訴された。一度は無罪になったが1964年に再起訴された。

44才から71才までの27年間、マンデラが過ごした2.5メートル四方の獄舎。便はバケツで。

入獄中マンデラは、同刑務所に投獄されていた他の反抗者たちの指導者であった。

1990年2月、釈放されたマンデラ。右は当時の妻、ウイニィ(Winnie)。

1993年、ヨハネスブルグの住民に演説するマンデラ。この時点で、白人統治に終止符を打った。

マンデラの政策方針は、白人と協調することを基本とし、真っ向からの競合は避けた。

マンデラの大統領選挙キャンペーンに熱狂する大衆。

1994年4月の投票日。順番を待つ選挙民、長蛇の列。62%の票を得てマンデラ当選。

自らも投票するマンデラ。大統領に選ばれたマンデラは5月10日に宣誓した。

「人種差別制度よ、さようなら。二度と起こらぬよう」と書かれた棺を担ぎ、喜びの民衆。

1994年、マンデラ大統領就任式。右は副大統領になったデ・クラーク(de Klerk)。
二人はその年のノーベル平和賞を分ち合った。

1994年2月、曾て入獄していた獄舎を訪れたマンデラ。感無量であったろう。

1995年、先々代のローマ法王ジョン・ポウル二世(John Paul II)を迎えるマンデラ。

ラグビーのワールド・カップ決勝戦で、強豪ニュージーランドチームを破り優勝した南アフリカ。
国民の士気が高揚し喜びあふれるマンデラ。
1995年6月

2003年、旧友の葬式に参列したデスモンド・ツーツ(Desmond Tutu)を迎えるマンデラ。

1998年、グレイサ・マチェル(Graça Machel)と再婚する80才のマンデラ。

2005年、ニューヨークを訪れ、ハーレム少年合唱団のコーラスを聴くマンデラ夫妻。

ヨハネスブルグのショッピング・モール前に建つマンデラの銅像。

2008年、90才の誕生日を祝って集まった孫たちや家族に囲まれたマンデラ。

2011年、マンデラ家を訪れたオバマ大統領夫人ミシェルと娘たちマリア(左端)とサシャ

黒人解放を成し遂げ、安穏な生活に入るマンデラ。2008年頃。



1 件のコメント:

  1. 『偉大な』という言葉だけでは足りないほど、マンデラの業績は甚大なものでした。キングの公民権運動と比較されますが、27年間の獄舎生活を耐え忍び、時をムダにせず、自己の信条を守って南アフリカの黒人を解放した意志の堅固さには頭が下がります。

    返信削除